わからないということ(自戒を込めて)

わからない人はわからないものなのだなあ - novtan別館を読んで,自分がわりと他人の文章をわからないと言っているなぁと思った.元記事の文脈がさっぱりわからない(また,使った.笑)だが,こんなことを思い出したので書いてみる.


基本的にsor_aがわからないというときは,本当に何が言いたいかわからないときだ.まあ,わからないにも色々ある.

  • 文章の意味がわからない(日本語でおk)
  • 文章で何を言いたいかがわからない(その文章で何を言いたいのか)
  • 何故,それを言いたいかがわからない(なんの目的でそれを言うのか,筆者の立場や価値観など)

その人の価値観が含まれるような議論においてはどういう価値体系の元でこのひとは発言しているのか,何を言いたいのかがわからないと話にならないと思う.結果的にこれらがわかっても,自分とあまりに違ってて共感できないという状況はあるが,大体これがわかれば,どんな立場の人でも議論できると思う.


例えば,初めて右翼よりの人(本人は中道といっていたが)と政治の話をしたときにそれがわからなくて全く話にならなかった.このときの問題はsor_aにあって,何かというとsor_aが右翼の人の価値体系というのがわからなくて,ついでに言うとsor_aの政治に対する態度がなんというのかもわかってなかった.だから,sor_aは2人の目的状態のずれに気づかなかったのだ.こういう状態だと,ある政策の是非を評価するときに互いの主張が異なるのだけど,何故自分がもっとも良いと思う主張が受け入れられないかがわからなくなる.そもそも,その良いという価値基準が違うからなのだが.相手の人が手慣れた人ですぐに彼は気づき政治に対する態度についてのレクチャーをしてくれて,相対化できたので話は続けられたが,そうでなければ訳のわからない応答が繰り返されただろうと思う.


ややもすれば,自分の価値体系を相手に反映させて話をしたり聞いたりしがちだが,世の中には多くの価値体系があり相手が自分と同じ価値体系で話をしているとは限らないから,先にそこは主張した方が丁寧だし,少しでもおかしいなと気づいたときには自分の立場や目的を明確にして,相手のも聞いた方が良いなと思う.自戒を込めて.