「○○には○○な効果があるとする立場をとるから」ってすごい根拠だな

早川由紀夫の火山ブログ ホメオパシーと漢方の違いはどこに?を読んで.これは早川先生という群馬大の教育学部の(本物の大学の)先生の記事.この記事から*1気になったことがあったのでメモがてらまとめてみる.

偽薬には、薬効がないが心理的な治療効果があるとする立場(あるいは用語法)を私はとります。ホメオパシーで使うレメディは、医療には役に立たないが、治療には役に立つと表現します

これなんだけど,他にも彼は

ホメオパシーには心理的効果・カウンセリング効果があることを、会長談話はなぜ認めなかったのだろうか。心理学は日本学術会議のメンバーではないのですか。

とかゆってるんだけど…


要は,彼は「ホメオパシーには心理的効果・カウンセリング効果がある」ということを前提としてもっており,かつそれは公的に認められてしかるべき前提であると「臨床的研究によって帰納的に」検討されたわけでもないのに主張してるわけだ.どうやら,偽薬効果があったという結論から演繹的にホメオパスの治療行為による治療効果があったはずだと妄想してしまったらしい.


そもそもホメオパシーには心理的効果・カウンセリング効果があるという実証研究があるのだろうか?あれば良いのだけど,無いのであれば(もしくは彼が知らないだけであったとしても)彼の主張は心理学(特に臨床心理学)は実証研究が無くても成立すると言ってるようなものではないか.心理学は対象の複雑さや測りづらさから科学的ではないと思われやすいが,だからといってまともな研究もなされずに「効果がある」などといえるようなものではない.仮に会長談話がホメオパシーのカウンセリング効果を認めれば,それは臨床心理学会にとって侮辱であると思う*2.更にいえば,カウンセリング効果は偽薬効果ではないし,カウンセリング効果があると主張したいのであればそれをきちんと検討するべきじゃないのか.
心理的」と言う言葉は「心理学」の言葉というよりはもっと日常的に使われているから,彼がtwitterとかで使っていてもあまり気にならなかったし,もしかしたら今回も日常的な感じで使ってるのかもしれないけど,なんか,結果となるべきものを前提に持ってこられた感じが気持ち悪い.

*1:この記事以外にもtwitterでいろいろ議論してるらしいし彼のこの記事もそれをふまえた方がよりわかるのだろうけど,twitterの議論ってどうにも追いかけづらくてならない.togetherにまとめてもらえないと読めない情弱っぷりである.よって,この文章の参考もとは早川由紀夫の火山ブログ ホメオパシーと漢方の違いはどこに?の記事のみであるとして読んでください

*2:臨床心理の専門家ではないので推測でしかないが

続・席に座らない子供を汽車に乗せるな

前回の記事書いた後につらつら思ったことなどとりとめもなく

確率について

前回,「追突事故リスクを低く見てるよなぁと思う.」と書いたけど,単に私が自分の経験した一事例によってリスクを高く見積もりすぎているのかもしれない.この可能性は否定できない.*1
なので,発達段階ごとの立ったままの乗車スタイルの安全性についての研究がJRなんかで行われてないかググってみたが見つからなかった.ご存じの方がいれば教えていただけたらと思う.

教育について

タイトルとは反対であるが,「子供を席に座らせるべきだ」というのは非常におかしいと思う.教育の観点からは.しかしそれは,公共マナーなどではない.「強い者は弱者に席を譲る」というマナーであれば,より強い者(大人)が席を譲るべきであり,弱者同士で分不相応な(ここが大事,分相応なマナーはさせるべきだと思ってる)譲り合いをさせることで学習できるとは思えないからだ.観察学習は出来ないと思っているのだろうか?*2考えたのは運動の発達の観点からだ.大きくなって汽車に立って乗るということを可能にするためには,それ以前に立って乗る経験をしなければならないのではないかと思ったのだ.これから先全ての乗客が座れる汽車になるとは思えないので,やっとく必要はあるだろうとは思う.発達段階がどの程度かとかの専門的知識は持っていないので,いくつぐらいからとは言えないが.
では,なぜ私が「子供を席に座らせるべきだ」というかというと,私がイタイ思いをしたくないからだ.非常に子供じみており,利己的である.良識ある大人としては子供の成長のためには痛みもコストとして捉えるべきかもしれないが,イタイのは嫌なんだ.

女性として

よくよく考えてみれば,大人になってからも私自身席を譲られる.老人でもなく妊婦でもないが.どういう場合かというと,男性と一緒に乗ったときだ.彼らは大抵私(女)に席を譲る(他に老人などがいれば彼らに譲るが).そうゆうもんかと思って私も座る.納得した理由を思い出すと,私は「俺とおまえ肉体的弱者はどっち?」という比較を行っており「私の方が弱者だ」と思っていた.
…しかし,もし大人が座り子供が立つのは当然などと思うのが常識だとしたら…私はどんだけ弱く思われてたのだろうか.切なくなった.


本当にとりとめなくなった.
最後に,「子供には人権がない」のか? - PSJ渋谷研究所X(臨時避難所)ブコメでも書いたが,彼女が子供に対して「「年齢に応じて社会適応力を養うこと」を意識してるけど肉体的・精神的発達段階を知らなさすぎ」た結果としてろくな根拠も提示できてないのに「立つべき」と考えたのであれば,彼女は子供のことを思う非常に良識ある大人だと思う.実力が伴っていないだけで.このブログのid:kamezoも彼女とは立場こそ違えど子供のことを思う非常に良識ある大人だと思う.それに比べて私のは子供の成長なんて何も考えて無くて単なる我が侭だなと思った.反省はしないが.

*1:この「わたしの経験」の過度な一般化はトンデモでよくある手だ.トンデモ具合から言えば子供を立たせる大人(や江川さん)と私は互角な勝負である.つまり,前回の私の記事は主張としてはあまりに酷く,かつ不毛である.

*2:Togetter のあの議論で運賃の話題が出たのは大人側に譲れと言わせないためではないかと意地悪いことを考えた.「老人こそ弱者であり彼らに席を譲るのは,弱者以外でよりコストを払っていない者だ」かと.

席に座らない子供を汽車に乗せるな

注意
最初に書いておきますが,今回は八つ当たりです.言い過ぎな所も多々ありますし,攻撃的ですが過去に受けた痛みが書かせているのだと思っていただけると幸いです.子供については,「子供好き?」と訊かれて「子供による」と答えるくらいには子供好きですし,今回はきわめて利己的(周囲の大人の安全を守る)に書きましたが,これは同時に子供自身の安全を守るためにも重要な観点であることは言うまでもありません.



【拡張版】江川紹子電車立っち問題 - Togetterを読んで.(追加:江川紹子電車立っち問題 - Togetter

私が汽車で席を譲るとき優先順位がある.ちなみに該当者が2人以上いた場合は近くにいる非該当者を巻き込む.

  1. 子供,妊婦,手が震えている老人
  2. 手が震えていない老人


これは人道的観点からじゃない.
こういう人たちを,私は「ブレーキのついてないベビーカー」と同じで「動く凶器」だとおもってるからだ.こういう人(重みだけはある)が急ブレーキや事故の時にぶっ飛んで人に怪我をさせるのだ(経験あり.それほどの急ブレーキではなかったので怪我こそしなかったがかなりイタかった).はっきり言えば,座らないなら乗るなとくらい思ってるし,譲ってるのに断る親(「うちは大丈夫ですから,しつけてますから」とかぬかす)は「ふざけんな.あんたの教育方針なんてどうでも良い.車内の安全性を確保するために,その危険物(子供)を隔離しろ.迷惑だ」と言いたくて仕方ない(言わないけど).席に座ると言うことは楽をするためではなく,事故を起こさないためだ.


だから,「子どもは立つべし」とかいう大人がいることに驚いた.しかも,学のない人(急ブレーキがかかったときに子供(くらいの重さのもの)がどうなるか想定できない人)ならともかく,そうでなさそうな人でもあるのに驚いた.何でなんだと思って「子供には人権がない」のか? - PSJ渋谷研究所X(臨時避難所)を読むと「年だからじゃないか」(乱暴な要約)ということだった.年か,年なら仕方ないのかな.しかし,こういうふざけた大人がいるから私はイタイ思いをしたのかと思うと何とも腹立たしい.


勿論相手側にも子供を立たせる理由はいくつかあって

  • 「しつけ・楽をさせない」・・・子供自身や周囲の大人に危険を伴うリスクをとってまで教育するな
  • 「金額が半分」・・・定期使っている奴全員立てという話か
  • 「混んでないから大丈夫」…だから何だという話.ぶっ飛んだときは空間が広い方が移動距離もとれるからかえって危険だと思うのだけど?意味が分からない.都会ならではの何かか?


しかしどれも,追突事故リスクを低く見てるよなぁと思う.・・・一度,ぶっとんだ子供に追突されればいいのに.

高齢者行方不明問題

高齢者行方不明問題で気になるのが,どうやって消したかという問題.ニュースになってるお部屋で発見された一人のような例がそれほどあるとは思えないからだ.臭いとか条件が整わなければ難しいのではないか.

また,
消えた高齢者 - novtan別館
こちらでは,家族(で良いのかな)が死体を遺棄したという話を考えているようで,実際疑わしいもあるけど,そんなに多くないだろうと思うのは自分が甘いからだろうか.

そういう積極的なものよりもむしろ,
痴呆→徘徊→失踪(高齢者は思いがけず遠くに行く.札幌あたりでも街中で見失い山で見つかった例がある)
災害→失踪
などから(本来すべき)届け出をしない消極的なパターンも結構あるのではないかなと思った.
呆け入り始めの高齢者が身内にいる身としては,年金なんてどうでも良いけど,そのせいで諦めなければならないのは辛いなと思った.

最強スープカリー ブッダの「チキベジ」

名寄市に用事があり日帰りで行ってきた。名寄にはスープカレー屋が2軒あるとのことで昼飯に1軒行ってみた。
今回は「最強スープカリーブッダ」の方に行った。スーパー西條の側にある店だ。黄色っぽい壁で看板に「ブッダ」と書いてある.もう1軒の「スープカリー&カフェ スプーン」も近くにあるそうで,さすが駅前の商店街だ。

ブッダというくらいなので店内もインドっぽい感じになっていた。



スープカレーは、チキン、ポーク、ベジタブル、納豆に大別されている。私はチキンの中のチキベジを選んだ。辛さは無料が5段階,さらに+100円の辛さがあるが,5を選択.ライスも小盛り(1杯)から選べる.
連れはポクベジの辛さ2,小盛りを選んだが,スープの色が違った.ポクベジとチキベジで違うのか,辛さの段階で違うのか?

食べてみると,辛みはちょうど良くトマトベースでチキンの味が本当にしっかり出てて美味しかった.
スープの味はとてもユニークだった.チキンにトマトに塩味に大量のスパイスが加わった味なのだが,塩味の強さのせいなのか結構面白いスパイス使いだと思った.何故か我々は梅又は紫蘇の味を感じた.スタッフさんに尋ねたところ梅は使っていないそうなので,スパイスの加減で梅だと思ってしまったのだろう.
時間が経って温度が下がると,大抵のスープカレーはこくというか甘みが出るのだけど(単に自分の下がバカになったからかもしれないが),これはもっと複雑な味になっていき,そしてしょっぱくなっていく.「複雑な」というのは苦みが出たりとがったりせわしないというか,いろんなものが主張しまくってる味?


本当に面白い味.また機会があれば行きたい.

最強スープカリー ブッダの「チキベジ」
最強スープカリー ブッダの「チキベジ」 posted by (C)sor_a


ブラジルの「なよろ焼チーズ」

家族が名寄へ行った際にお土産で買ってきたもの.有名らしい.
名寄には母の実家があるので子供の頃は行っていたけど,こんなこじゃれたものができようとは.菓子と言えば「喜信堂」さんくらいしか知らなかったのに(胡桃餅が美味しい).まあ,よく考えれば,当時はネット環境がなく入ってくる情報はもっぱら老人(祖父母)によるものだったから単に若者に流行ってるような地域情報を知らなかっただけかもしれない.

下の写真で分かるように,クリームチーズを使ったタルトみたいな感じで,味もレアチーズケーキを焼いた奴だと思った.大きさは直径12cmで割と小さめ.ただ値段も手頃で800円台とのこと.リーズナブルだと思う.味は,クリームチーズがしっかりしてて美味しかった.


nayoro
nayoro posted by (C)sor_a

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HIVキャリアを理由に看護師を解雇することは正当か?を読んで

2010-05-01を読んで,考えてみた.

sor_aの結論は…わからない.判断できない.


HIVの感染リスク項目についての知識も少ないが(バカだから…でも献血の時に聞かれるレベルでは分かってる),そもそも「看護士」さんがどういう仕事してるのかが分かってないから.医療関係者じゃなくて,入院したことなくて,ちょろっと病院行ったことあります程度の,患者という役割しか経験していないと見えない部分が多すぎて.だから分からない看護士という仕事のHIVの感染リスクがあるかないかなんて判断しようがないし,まして量的判断なんて無理だ.

そこで,こういう時は専門家に頼るしかないと思ってる.つまり,「厚生労働省とか医学会とかの専門家はちゃんと仕事してる(科学的・合理的な判断をしている)」と.で,彼らがHIVの感染リスクあり(高い)と判断するような行動は看護士・医師にさせていない(禁止してる)だろうと信じてる.だって感染したいとかさせたいとか思う人はいないでしょう?ということで,看護士のHIV感染リスクは低く解雇は正当ではないと思う(「職場復帰に支障がない」という診断書も有力な情報だが「副施設長」だって医療関係者なので,この場合「専門家同士の意見が割れた」ともみなせる(「副施設長」が医療の専門家としての判断を行ったと考えた場合)).


でもこれってかなりいい加減だ.答えに自信があるはずなく,結論は「わからない」となる.
もう,こういうのが陰謀論のつけいる隙なんだ,無知ッテコワイワー.